もっと早く故郷に帰りたかった

転勤で地方に住んでいて、夫が神奈川の会社に転職すると言う時に、家族全員で引っ越せませんでした。

あと1年 息子の高校卒業を待たなければならず、夫は先に単身で引っ越して行きました。

やっと我が故郷である横浜に帰れる。母にも会える。そう思いながら残り1年を転勤先の地方で暮らしました。

息子の卒業式の少し前、引越しの準備をしていたら、母が入院したというので あわてて病院にいる母に会いに行くと、

意識は無くて人工呼吸器をつけていました。もうすぐ死んでしまいそうでした。

わがままな娘の私は「おかあさん、今逝ったら困るの。もう少し待っててよ、がんばって」と耳元で声をかけました。


母のことが心配で後ろ髪は引かれたけど、息子が待っている地方へ戻りました。

その後、母の状態は少し良くなった、という連絡があり、ほっとして息子の卒業式を済ませ、引越しも済ませました。

引越し後に母に会いに行くと、完全な認知症になっていて、私のことなど全くわからなくなっていました。

なぜか、長男(私の兄)の名前だけは覚えていて、時々名前を呼んだりしていました。

以前から心臓が悪くて 胸が苦しい時には上半身を起こして背中を丸めて寝ていたという。

入院していても胸苦しさは変わらないらしく、自分でゆらゆらと上半身を起き上がらせることから、

ベッド落ちの心配がないように、ベッドではなく床に布団を敷いていましたが、布団に横になって寝ることもできず、

上半身を起こして背中を丸めた母は、「苦しい・・・苦しい・・・」とうなっていました。

生きていても苦しいだけ。自分の長男の名前以外は何も覚えていない。悲しくなった。

これから親孝行をしようと思っていたのに。(いいや、我がまま言って甘えたかっただけだけど)

「おかあさん、苦しいの?かわいそうに。そんなに苦しいなら もう死んでもいいよ、楽になりたいよね」と誰もいない時に声をかけました。

なんて親不孝なんだ、死んでもいいよ、なんて。そんなことを言った自分を責めました。



その後、しばらくして母は亡くなりました。(1週間だったか10日だったか)


夫や子供がいたら、そう簡単には故郷には帰れない。

旅費が高いからと数年に1度くらいしか帰らず、その上心配ばかりかけてしまった。

夫の借金を返すために、母からお金を借りたこともあった。


せっかく故郷に帰ってきたのに、まもなく母はいなくなり、その2年前には仲良しだった姉も亡くなっていて、

思い描いていた故郷での暮らしは想像とはまったく違ったものになりました。



人生は後悔ばかり

その時にはわからない

元には戻らない

死んだら終わり

生きている間だけ

我がままと迷惑 遠慮

耐えても我慢しても 今あるものが保障されるわけではない

明日 何もなくなるかも



今、振り返っても どうしたらよかったのか何ができたのか わからないけど、

旅費のことなんか考えずにもっと帰っていたらよかったなぁと思う。

(お金のことを考えなかったら 暮らしていけなくなるわけですけど)


entry_img_765.jpg
野生動物のように生きていけたらいいのに。

スポンサーリンク
スポンサーリンク

関連記事






  • このエントリーのカテゴリ: 日記